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Saturday, May 10, 2008

Summary of April 2008



"New Mom's Brain" - well, I guess I am suffering from it at this moment. My brain goes blackout more often than once-in-a-while frequency and it just does not seem that I can write something decent, something meaningful this morning. Anyhow.... I will continue. It is hard to find some quiet time for myself these days.
April was a month of transition. I went back to work in the last week of March, only a couple of hours a day, then gradually shifted to full-time by the end of April. We drop off Liya at her babysitter first, then Misha at daycare, then go to work. My brother was here until mid-April, then he went to Mexico City for 2 weeks before going back to Japan. Liya and I spent a night at Atlanta with him when he had a one-night layover coming back from Mexico before leaving for Japan.  We cannot imagine how our life would have been without him in the last 3 months. We would have survived somehow, but with much greater amount of stress and chaos for sure.

さつきが町中に咲きほこった4月も終わり、アラバマの5月はもう初夏である。4月は仕事にも完全復帰し、弟が日本に戻り、いろいろな意味で私達家族の新しい生活が始まった月でもあった。なかなか頻繁にブログの更新ができないけれど、以下が4月のまとめです。

Here is a brief summary of April -

1. Liya
She is gaining weight adequately. She grew from 9 lb 7 oz in the beginning of April to over 11 lb by the end of the month. I am pumping at work, and the babysitter supplement it with formula as needed. I am trying to increase my milk supply as much as possible so that Liya does not have to take formula, so hopefully I can catch up with her demand soon.

4月の初旬には無事、リヤの出生届を日本総領事館に提出(海外で生まれた場合、出生後3ヶ月以内に提出義務がある。これを怠ると、日本国籍がもらえない可能性あり)。ミーシャの時はカタカナだったけれど、リヤは日本の戸籍上、「理矢」とした。理知の心をもって、賢く生きていってもらいたい、という意味。どんな風に成長していくのか、どんな子になるのか、楽しみでもあり不安でもある。まあ、不安というのは親としての責任感の裏返しということなのだが、まあまあ彼女はこの1ヶ月でずいぶん成長した。エジプト人のベビーシッターさんの所で彼女は一日を過ごし、母乳、足りないときは粉ミルクを飲んでいる。母乳生産は「需要と供給」が基本なので、仕事場のみならず、車の中や朝など、時間を見つけては電動パンプ(搾乳機)のお世話になっている。このパンプ、日本ではあまり耳にしなかったけれど、アメリカでは「母乳育児派働くママ」の必須アイテム。このパンプがなかったら、どうやって働きながら母乳で育てられるのか、想像もつかない。技術の進歩に感謝です。

2. Bye bye Contour



After 6 years, we finally had to say good-bye to our Ford Contour. This was Temesgen's 1st car (He got his 1st driver's license in San Diego in 2002) and the only car we had during our life in San Diego. We have so much memory with this car - both good and bad. This is the car that broke down on the way to our little honeymoon in August 02, and again broke down on the way to Las Vegas to celebrate my 30th birthday in 04 (that was really scary being in the car at night on the freeway in the heavy rain, while big trucks ran right next to you with full speed!), but also took us so many wonderful places for hiking and camping, then our life-changing move to 3,000+ miles trip to Alabama. Our children, Misha and Liya, also came home from hospital with this car. After all the repairs, it finally came down with a transmission problem and we decided to donate this car to a charity. And we know for sure, this car would never have lasted this long (96 model with 150,000 miles) without the excellent care of our mechanic in San Diego, Jorge (Toshimi-san's husband, now a master mechanic in Lexus). So thanks Contour and Jorge for all the wonderful memories!

サンディエゴに遊びに来た人はみんなこの車に乗ったと思う。なんでもないフォードの中古車なのだが、2002年にテメスゲンが単身アメリカに来て、運転免許を取り、不便さにたまりかねてほぼ衝動買いのように買ってしまった車である。その数ヵ月後、お盆休み中にサンディエゴで結婚して、ミニ・ハネムーンに行く途中に故障、レンタカーを借りることになったのをはじめ、私の30歳のお祝いにラスベガス旅行に行く途中でも故障、夜10時頃、大雨の中高速道路で立ち往生し、トラックがすぐ横をビュンビュン走る中、レッカー車がくるまでがなんと長く感じたことか。
悪いことばかりではない。ミーシャとリヤが我が家に初めて来たのもこの車、ハイキングやキャンプ、数々のロードトリップ、サンディエゴからアラバマまで5000キロ程度を移動したのもこの車であった。数々の故障を乗り越えたコントアちゃんだったのだが、今年1月に2台目を購入したあたりから調子がおかしく、ついにトランスミッションが故障。慈善団体に寄付することになった。テメスゲンが買ったときは8万キロだったのが、最後には24万キロ。文字通り私達のアメリカ生活の「足」となり、せくせく毎日走ってくれた。素敵な思い出をたくさんありがとう、コントアちゃん!

3. Visit

Temesgen's long-time friend, who was first his student back in Ethiopia, visited us from New Orleans (photo: next to Temesgen). With another friend who moved here with his family in February (photo: in center with Misha), it is so nice to see Temesgen having a little Ethiopian community in Alabama. Three guys definitely had nice 'men-talk' over the weekend with beer, wine, and lots of food!

テメスゲンのエチオピア時代からの友達、ガメチュ(写真:テメスゲンの横)がニューオーリンズから遊びに来た。電話では頻繁に話していたものの、10年以上ぶりの再会である。ガメチュの横にいるのがアサゲット。リヤが生まれた後、我が家に居候していたテメスゲンの友達である。アサゲットも無事、ミネソタから奥さん(アサゲットの横)がやってきて、新生活がスタートした。このオーバーンにはエチオピアの人が7-8家族いて、ほぼ全員タスキギーかオーバーン大学の関係者で、私達の生活にもエチオピアの香りがあふれるようになった。サンディエゴの頃はアジア・メキシコの影響が強かったので、テメスゲンにとっても、ミーシャたちにとってもいい事である。私もエチオピア式の挨拶や、料理に触れる機会が増えたので、テメスゲンの文化を少しずつ理解できれば、と思う。話は元に戻るが、エチオピア時代のテメスゲンを知る人たちと再会した時の第一声はもちろん、「あれ、髪どうなったの?」。再会はいつも大爆笑ではじまる。

4. Good bye Uncle Hi-kun!

Photo: My brother with 2.5-month-old Liya at Atlanta Airport.

I always say that the best thing happened to me after Misha was born was Breastfeeding support group - where I found so many friends. This time, it was my brother coming here - no doubt about it.

We miss you (and wonderful pasta and soup, of course) so much!!
4月の中旬から2週間メキシコ旅行に出た弟が、とうとう日本に帰国することになった。2ヵ月半の共同生活で、お互いの事を学び、昔話に花が咲くことも多かった。懐かしい子供の頃の話や、彼が旅してきた国のこと、いろいろな料理の話や、話す話題にはいつも事欠かない。母が、「石橋を叩かずに渡る徳子、叩いて渡らない久展、叩いて渡る万記」と形容するように、性格はかなり異なる私達3人なのだが、やはり根本は似ている気がする。

弟は日本からたくさんのDVD、食材をもって、リヤが生まれる1週間ほど前にやってきた。リヤが生まれた夜、ミーシャの面倒を家で見てくれたのも彼、私が帝王切開後に動けないとき、ミーシャの送り迎え、買い物に行ってくれたのも彼、洗濯・掃除はもちろん、「何が食べたい?」と訊かれ、「作ってすぐ食べなきゃいけないパスタは、我が家のテーブルにはのぼらないので、作りたてのパスタが食べたい」と言ったら、和洋いろんなパスタを作ってくれた。そしてミーシャとテメスゲンの好きなスープもいろんな種類作ってくれた。あまりのおいしさに、テメスゲンも「このままアメリカに戻って、スープとパンのレストランを開いたら?」というほど。そして、テメスゲンと一緒に裏庭を耕し、整理し、私と一緒にブルーベリーの木も6本植えた。庭の芝刈りもしてくれた。

ミーシャが生まれたとき、私に起こったことで一番よかったのは母乳育児サポートグループといつも言うのだが、今回はもちろん、弟が来てくれたことである。産後の起伏の変動、それに居候さんとの同居など、私の愚痴だけでなく、いろんな物を笑顔で受け入れてくれた彼。ハッピーママはハッピーファミリーの基本。テメスゲンも「ひーくんが来てくれてなかったらどうなってたか、考えるだけでも恐ろしい」といってたくらい。ありがとう、ひーくん!この恩は一生忘れないよ!

2 comments:

Anonymous said...

毎日てんてこ舞いなんだろうなあ。頑張れぇ〜。Liyaはなんだか、すっかり赤ん坊じゃなくて悟りを開いたような目をしているね。私にはちょっとした夢があるよ。二人が小学生になった頃、ボストンにプチ留学して、ニューヨークで現代美術を堪能して、そしてアラバマに着いて、てテメスゲン一家が夏休みに国立公園にキャンプに行くのに同行するの。

Haru-mama said...

まあまあ、これだけ忙しい毎日の中、よくブログを更新できるもんだ!わたしゃ働いていないからまだいいけど、この生活でフルタイムで働いて、子供預けて・・・なんて、さすがパワフルママさんね。

リヤちゃんの最近の写真も見られて幸せ。やっぱりパパそっくりの気がします。そして徳子さんの弟さんは、徳子さんにそっくりの気が・・・。