Tuesday, October 30, 2007
Uncle Yared!
Wednesday, October 24, 2007
San Diego Fire - 山火事発生
Being more than 3000 miles away, I can offer very little help, but we hope that no more houses will be damaged, and no more people and animals, both wild and pets, will be affected. For those of you who live in San Diego county, you have all our prayers and we are thinking of you.
基本的にテレビをほとんど見ない我が家では、世間の情報は新聞、週刊誌TIME、とオンライン・ニュースである。オーバーンの「新聞」というものは地域情報程度のもので、近辺のニュースや毎週どこかで開催されるイベントの予定を見るのには重宝するが、アメリカの政治、文化、世界の情報などといったものは、数行書かれる程度。オンライン・ニュースも時間があれば見れるが、仕事が忙しかったりするとメール・チェックのみになるので、毎日というわけにはいかない。そこで、毎週土曜日にやってくるTIME(タイム誌)の出番である。このTIME誌、日本でも英語の勉強も兼ねて目を通していたが、来年ある大統領選挙のことや、アメリカの教育、文化、健康等に関する調査、州の比較など、本当によく書かれていて、アメリカに来てまだ5年目の私達には貴重な勉強材料である。とくにアラバマは地域柄保守的なので、文化、宗教(南部バプティスト教会の力は本当にすごい!)に関するコメント、ブッシュ政権の批判などはほとんど口に出せない。南部では極少数派のアジア系に属し、非キリスト教徒、しかもブッシュ政権を支持しない私にとっては、正直かなり肩身の狭い場所である。
話がそれてしまったが、今週前半ニュースをチェックしてなかった間にサンディエゴが大変なことになっている。4年前の山火事以上の大規模な山火事勃発。3月、6月とサンディエゴを訪れたが、その時も「雨が降ってないのよ」とよく耳にしていたから、テメスゲンと心配していたのだが。よくコメントを残してくれるお友達の明子さんのおうちにも、海岸から5-10分くらいの場所にあるのに避難勧告が出た。私がアメリカで最初に勤めた動物病院も月曜日から閉鎖。私達が住んでいたUTCとよばれる一帯は大丈夫らしい。同じくUTCに住む利美さんに電話したら、近くに高速が3本走っているので火のコが飛びにくいから、ということ。一番最後にサンディエゴの友達と話したのは、日曜日の夜である。そのときには火事の話は一切でなかった。今日が水曜日。たった2-3日でかなりの被害である。また今日も他の友達に電話をするつもりだが、5000キロも離れていたんじゃあ、友達をおうちにかくまってあげることもできず、動物を預かってあげることもできず、なんとも歯がゆい。今は募金をつのる団体を探すことと、皆の安全を祈ることしかできない。
南カリフォルニアは海岸線にやしの木がしげり、湿度も低く、一年中気温約20度台という、とても過ごしやすい地域である。雨らしい雨が数ヶ月降らないことも珍しくない。ただし、基本的にはスプリンクラーが作動していなければ、全くの砂漠地帯なのである。実際、150年前のサンデェイゴの写真(OldTown) を見たことがあるが、茶色い砂地の大地に家がポツポツ立っている程度だった。飲み水もはるかかなた、ロッキー山脈からくるコロラド川が主な水源である。慢性的な水不足、そして近隣の山に起こる山火事は避けられない。
それにしても、最近ビル・クリントン政権の副大統領、アール・ゴアがノーベル賞を受賞したことは本当に喜ばしい。いまだに「地球温暖化」を堂々と否定する人たちがいるのは私には信じられないことである。前述のTIME誌でもこの夏彼の特集があったが、ブッシュと争った大統領選の時の彼と比べると、アカデミー賞も取った環境ドキュメンタリー「Inconvenient Truth」をはじめ、環境問題を話す彼の姿は、水を得た魚のようである。実際、日本での知名度は低いと思うが、アメリカのメディア女王、世界でもっとも裕福な女性でもあるOprah Winfrey(オプラ)のトークショーでも、「I fell out of love with politics」(政治との恋はさめたよ)と言っていた。選挙戦の時は知らなかったが、彼はもともtかなりの科学通・コンピュータ通で、サーチエンジンのGoogleの役員もつとめている。スティング、レオナルド・ディカプリオやジュリア・ロバーツも環境問題にどんどん入ってきてるし、こういった有名人達が世界に関心をもって動いているのを見るのは気持ちがいい。オプラのこともまたいつか書きたいと思うが、私の中では尊敬し、自分が死ぬまでにぜひ会いたい有名人の一人である。ちなみにネルソン・マンデラ元南アフリカ首相、オノ・ヨーコにも会いたい。
今日は朝4時に目が覚めて、一人こうしてコンピュータの前に座れる時間も日ごろ少ないので、つれづれなるままに書いてしまったけれど、山火事の被害が少ないこと、特に家を失う人がこれ以上でないこと、ペットの動物達はもちろんのこと、サンディエゴ群にたくさんいる野生動物たち(野生の鹿や他の哺乳類、それに私のお気に入りスポットだった、山に近いエスコンディードの野生動物王国の動物達はどうなったのだろうか?)がこれ以上被害にあわないように、祈っている。
Wednesday, October 10, 2007
Finally.... I am a US vet!
馬の試験が合格して、ついに我が手にアメリカ獣医協会の認定証が届いた。サンディエゴで最初に申し込みしてから3年3ヶ月。思い立ったのはまだテメスゲンと二人生活で、小動物病院で働きはじめて1年経った頃だった。それから妊娠発覚、ミーシャ出産、出産後半年で国家試験受験・合格、アラバマへ引越し、今年の3月に実地試験(6科目合格)、5月に州試験受験・合格、2人目妊娠発覚、9月に実地試験の馬部門再試受験・合格。ここまでの道のりを振り返ってみると、長いようで短いような、大変だったような、でも楽しかったような・・・ミーシャを授乳しながら、国家試験の問題集をめくっていたあの頃が懐かしい。
アメリカに来た時は、ここで獣医をやろうとはあまり思っていなかった。獣医学科卒業で免許ももっていたけれど、獣医大と並行して米軍基地内で夜間、心理学を専攻して卒業してたし、その後ドイツへも通算1年ほど行っていたし、日本でも獣医だけではなく、英会話学校でも教えていたりしたので、必ず獣医の世界で、という気持ちはなかった。それがどういうわけか、犬猫病院でテクニシャンとして働くようになり、どんどんこの道へ。ミーシャの妊娠がわかった時、一番先に頭に浮かんだのは「獣医として働くかどうかは別にして、子供ができたから、アメリカで獣医の免許が取れませんでしたっていうことだけは避けよう」ということだった。
母には「子供もおって、あんたようがんばるねー」っと試験の話をするたびに言われるのだが、アメリカはすごいパワー・ウーマンがたくさんいるので、私自身そんなに大変だとは思わなかったし、今も思わない。
何よりも、私の横にはテメスゲンがいる。あんなにがんばる人が横にいると、自分だけ怠けるわけにはいかないのである。私の勉強のためなら、できる限り何でもしてくれる。これがきっと、彼の子供達の教育に対する姿勢でもあるのだろう。今朝の発見:ミーシャ、1-10を英語、日本語で数えることは知っていたけど、アルファベットがいくつか読めるのである。これには驚いて、オートミールを食べるスプーンを落としそうになった。
うちの両親はいろいろな面で変わっているのであるが、本当に面白いと思うのは、私立獣医大学の費用・生活費を出してくれたのに(アメリカの大学の授業料も、獣医大を卒業するまで払ってくれた。それから残り約1年の生活費・授業料他、ドイツ費用は自分)、「はやく働け」とか、「獣医として行きなさい」とか、そういったことは言われたことがないのである。自分で生活費がまかなえればOkといった感じである。実際、新米獣医の大変さも見たから、獣医をパートにして英会話を教えるようになった頃は内心ほっとした様子だった。ま、その自由奔放さ、放任なところがいいか悪いかは別にして、私にはぴったりだったんだと思う。日本の家族のことを書けばきりがないのだが、そろいも揃って家族5人ともB型。無鉄砲さはかなりの筋金入りである。
そして今日、とうとうビザ認可の報告が来た。ここのところ、週日は家探しに奔放してたのであるが、とうとうタスキギー大学の小動物病院で、獣医としての仕事が始まる。
ここまで手紙、メール、電話で励まし続けてくれた皆さん、どうもありがとう。
アメリカの獣医師生活、ついにスタートです。