Summanuna was such a multi-talented person. First of all, he was very smart - he obtained masters in England, then PhD in biochemistry from Hiroshima University in Japan (he was fluent in Japanese) and did a few years of post-doc at the Burnham Institute in San Diego, where we met. He was a brother-figure to Temesgen, and his wife Rita was a sister-figure to me. He remains one of the remarkable people I have met in my life - his intelligence, personality, talents, and lots of stories to tell.... Life was not always easy in San Diego (or I should say "lives of foreign post-docs"), but we stayed close and supported each other as family. I really miss all the laughter we shared.
To commemorate his life and also to support his family, Temesgen and I are planning to collect monetary contribution from his friends in Japan and US to make his dream come true: The apartment complex he had designed. I remember seeing his architectural design on his computer in his apartment in San Diego, listening to his stories why he designed here this way, there that way... he looked so proud. So if anyone interested in contribution, please let us know. Summanuna is looking down on us with that big smile, for sure.
Photo above: Summanuna and Rita at annual Burnham Party at Hilton in January 2005
Photo below: Kofi-Gilbert and Nunana, making bread with me in February 2005
独立記念日(7月4日)の朝、衝撃的なニュースを耳にした。私達の親友、スマヌナさんがガーナで急死したというのだ。ミーシャが生まれる前にサンディエゴを訪れた人たちはきっと、笑顔が印象的なスマヌナさん一家に会ったと思う。
彼らはミーシャが生まれた日(2005年9月20日)の朝、家族で祖国ガーナに発った。前日の夜、病室の窓の外の雷雨を眺めながら、リタさんに携帯で「アメリカを離れる前に生まれるかもね」と電話したのが昨日のようである。
スマヌナさんは母国ガーナで大学を終えた後、イギリスの大学院で修士号(生化学)を取り、ガーナに戻って大学で教えている時にリタさんと再会、結婚した。確か、町の市場で再会した時に、「結婚するのは彼女」と感じてその場でプロポーズしたと言ってたと思う。その後、コフィ君が生まれ、次にヌナナ君が生まれた直後に、日本政府の奨学金を受け広島大学の大学院で博士課程をスタート。スマヌナさんは新聞配達のアルバイト、リタさんもホンダの工場で働いて家計を補い、スマヌナさんは無事博士号を取得。ラ・ホヤ(サンディエゴ)のバーンハム研究所に就職し、私達は出会った。
スマヌナさんとテメスゲンはバーンハム研究所で、数少ないアフリカ出身の癌研究者として兄弟分の存在だったし、アフリカ出身、ヨーロッパ生活、日本生活、料理の趣味等、私達夫婦と共通点が多く、ミーシャが生まれるまでのサンディエゴ生活には欠かせない人たちだった。スマヌナさんはリタさんと意見の不一致があると、うちにきて「女の人は本当に理解できない」ともらし、私とリタさんは「男は勝手だ」と愚痴っていた。 離米後も連絡を取り合い、最後に電話したのは数ヶ月前。「裏庭のマンゴの木の下でくつろいでるから、遊びにおいでよ」。スマヌナさんは笑ってそう言っていた。
リタさんの話では、亡くなる数日前から気分が悪く、めまいがするので、少し遠くにある大きな病院に行くと言って家を出た後、出先で亡くなったとのこと。死因不明ということだが、心臓あるいは脳血管系の印象を受ける。
スマヌナさんには夢があった。それは日本、アメリカ、アフリカの建築のいい所を合わせた、スマヌナさんデザインのアパートを建てること。サンディエゴに居るときから構想を練っていて、コンピュータで手直し中の図面、出来上がり図等を何回か見せてくれた。そのアパートが、あと屋根と配線を残すのみ、というところまで来ているが、このプロジェクトに貯金等を使っていたため、現在手持ち金が少なく不安な様子。それでまず、テメスゲンと2人で小額を送金したのだが、日米でスマヌナさんたちを知る人たちにもメールを送って寄付金を募り、8月上旬にリタさんにまとめてもう一度送金する計画を立てた。
数百円でも、ガーナの貨幣に換えれば親子3人の数日分の食費になるかもしれないので、もし貢献できると思う方は、ホットメールの方にメールしてください。日本の口座番号を折り返しメールします。
お金でなくても、手紙などを送りたい方はローマ字、あるいは日本語なら私が英語に訳して(日本語は読めないので)まとめて郵便で送るので、私達の住所に送ってください。子供達にとっても、リタさんにとっても大きな励ましになると思います。
ご協力よろしくお願いいたします。
写真1:2005年1月、バーンハム・パーティーでのリタさんとスマヌナさん
写真2:2005年2月、私達のアパートで一緒にパンを作るコフィ君とヌナナ君
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